性同一性障害とかMTFとかFTMとかではなく

性別がそんなに重要なものなのか?
というと普通の人の考えというのは結構浅いのであまり重要ではないと思う。
意外と軽い考えで、女性のほうがよかった、男性として生きたかったという会話が気軽にされることがまれにある。
性別については年代や国や、文化などに応じていろいろな見解が変わるもので、一概には言えないとは思うものの、この手の軽い気持ちの会話を軽い考えだけでされるとカチンとくることがある。

性別違和がある当事者としては、常に性別の差異だとか、文化の違いに拒否感や、感覚としていろんなことに気づくことがある。というか苦痛なくらいにいろいろと感じることが多いので、すがそもそも男女という括りはそんなに重要なのか?ということ。

既存の社会は男女で基本的には構成されている。

他を許している国は少数だ。
基本的には男性か女性としてしか社会的には生きていけない。
他は排除される。
まぁ実際に排除されることはないにしても、どちらかの括りに入れられてしまう。
なのでどちらかで生きていかないといけない。

男性らしさだとか女性らしさを強要されることの愚かしさ。

性同一性障害のガイドラインにのっとって診察を進めていく場合、基本的な立ち居地としては、男性らしい男性や女性らしい女性としての姿が望まれている気がしてならない。

  • 女性にしか見えない男性は、女性として生きる権利はないか?
  • 男性にしか見えない女性は女性として生きていくこことは許されないのか?
  • 男性らしい女性もいれば女性らしい男性もいるのが現実にはある。

    しぐさなどだけでなくても、外見的な特徴だけで考えても、数千人もいれば、男性には見えない男性もいれば、女性に見えない女性もいるだろう。
    それなのにそういうケースは置き去りにして既存社会の典型的なモデルとしての「男」と「女」という姿が本当によいものかどうかということは性同一性障害に関するいろんな本や媒体を読んでも今のところ、きちんと議論されたような見解は無いようなので、ガイドラインがあるのはなんともいえないものではある。

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